伝説の投資家、市場を読み解く天才の軌跡

5.0

『世紀の相場師 ジェシー・リバモア』

相場の世界には、時代を超えて語り継がれる伝説的な人物がいる。『世紀の相場師 ジェシー・リバモア』は、そんな伝説の一人、1877年7月26日、マサチューセッツ州シュルーズベリーに生まれたジェシー・ローリストン・リバモアの生涯を描いた一冊だ。「世界最高の株式トレーダー」と称され、デイトレーディングの先駆者として現代の投資家たちにも多大な影響を与え続けている彼の姿が、本書では鮮やかに浮かび上がる。

少年時代から始まった相場の天才

14歳でボストンのペイン・ウェバー証券会社に「ボード・ボーイ」として就職したリバモア。わずか5ドルを元手に相場の世界に足を踏み入れた彼は、株価の動きに独自のパターンを見出す天賦の才を発揮する。

16歳で専業トレーダーとなった彼は、「ボーイ・プランジャー(若き投機家)」というニックネームで呼ばれるようになった。バケットショップ(実際に株を売買せず、株価の上下に賭けるギャンブル場)で週200ドルもの利益を上げる手腕を見せ、ついには彼の勝率の高さから、ボストン地域のほとんどのバケットショップから出入り禁止を言い渡されるほどだった。

1895年から1897年の間に、彼はわずか3年で1,000%のリターンを達成。10,000ドルの利益を手にした。市場を読む目は、すでにこの頃から鋭さを見せていたのである。

波乱の投資人生

1900年、23歳でニューヨークに移ったリバモアは、強気相場の中で見事な成績を収める。しかし、相場の世界は常に厳しく、彼の人生も波乱に満ちていた。

1907年の恐慌では、空売りによって大きな利益を上げ、J.P.モルガンが個人的に彼に市場への空売りをやめるよう懇願したほどだった。一日で300万ドルを稼いだとされる。その手腕は、まさに「相場師」の名にふさわしい。

しかし、1908年には破産し、1915年には再び破産を申請。それでも彼は諦めることなく、相場に挑み続けた。挫折と再起の繰り返し。その姿勢こそが、彼の真骨頂だったのかもしれない。

1929年の大恐慌と100万ドルの利益

リバモアの最も有名な功績は、1929年の株式市場大暴落を予測し、巨額の利益を上げたことだろう。彼は100以上の証券会社を使って自分の動きを隠しながら、大規模な空売りポジションを構築した。

春までに彼は600万ドル以上の含み損を抱えていたが、ウォール街の暴落が起きると、およそ1億ドル(現在の価値で約15億ドル)の利益を手にしたと言われている。この成功により「ウォール街の大熊(グレート・ベア)」と呼ばれるようになったが、一般大衆からは暴落の原因と非難され、死の脅迫を受けるほどだった。

市場の流れを読み切った彼の先見性。それは天才的としか言いようがない。

トレーディング哲学と遺産

リバモアは「市場は決して間違わない。意見がしばしば間違うのだ」という原則を持っていた。彼の投資戦略は、市場心理の理解、価格パターンの重視、そして自分自身の判断を大衆の意見より信頼することに基づいていた。

彼は「How to Trade Stocks(株式取引の方法)」という著書を残し、また彼の人生と投資哲学はエドウィン・ルフェーブルの「Reminiscences of a Stock Operator(相場師回顧録)」の主人公のモデルとなった。

現代のトレーダーたちが、今なお彼の言葉に耳を傾ける理由がここにある。時代は変われど、市場の本質は変わらない。リバモアの洞察は、今日も色あせることなく輝いているのだ。

悲劇的な最期

数々の成功と失敗を繰り返したリバモアだが、1940年11月28日、63歳で自ら命を絶った。彼の死の時点では、資産よりも負債の方が多かったとされている。

ウォール街の歴史において最もダイナミックなキャリアの一つを終えたリバモアは、現代の投資家たちにも大きな影響を与え続けている。彼のタイミング技術、資金管理システム、そして高モメンタムのトレーディングアプローチは革命的であり、今日でも有効とされている。

リバモアの人生は、相場の世界における成功と失敗、栄光と挫折の物語として、今もなお多くの投資家たちの心に深く刻まれている。天才的な直感と冷徹な分析力を併せ持つ彼の姿は、投資の世界における一つの理想像として、これからも語り継がれていくだろう。

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