絶対の″商品″などない

業界自体を商品化せよ

 

 農林水産省は7日、大阪堂島商品取引所(岡本安明理事長)の米穀市場(東京コメ、大阪コメ先物)の試験上場について、8日から向こう2年間の延長を認可した。当初は、8月入り早々にも認可されるとの見方が強かったが、自民党の農林部会が5、6日に開催されたことに加え、JAなどの支援を受けた農林族を中心に根強い延長反対論があったこともあり、試験上場期限いっぱいでの認可となった。取引量(出来高)が当初の目標を大幅に下回るなど、期間延長への懸念材料はあったものの、卸の取引参加が拡大。今後の取引増加期待もあることから試験上場の延長に至った。

 

コメ先物の行方は

 大阪堂島取を含め、業界関係者にとってはホッと一息というところではあるが、前途は多難といわざるを得ない。たとえば、試験上場前には、東京穀物商品取引所の渡辺好明社長(当時)は(東京コメの)一日平均出来高5000枚を目指す――としていた。しかし、7月の例でいえば、東京コメ378枚、大阪コメ509枚で、合計でも887枚という低水準を余儀なくされている。それでも、今年3月の607枚と比較すれば46%余り増加してはいるか、とても本上場を目指すだけの条件が整っているとはいえないのが実態である。一部には取組高の増加を受けて、「市場は拡大している」とハヤする向きもあるが、これは多分にテクニカルな側面が色濃いだけに、従来パターンでの商い振興策には応分の限界がありそうだ。

 

 とはいえ、かりにこのまま取引量の低調が続き、出来高不振による流動性が欠落したままで推移するようなら、2年間の期限を待たないうちに試験上場中止を余儀なくされる事態もあり得ないではない。取引量が低迷している要因はズバリ、最大の当業者といえる生産者(農協=JA)が先物取引を徹底的に否定しているうえに、そもそも「コメ先物」が国内において投機商品として全く定着していないことにある。1939年(昭和15年)に戦時体制に伴う食糧統制によって先物取引が停止されて72年を経て、2年前に文字通り72年ぶりに復活したが、たんに主食だからという理由だけで自然にマーヶツトとして成立するという環境に国内商品先物市場がなかったのは、その後の経緯をみるまでもない通りである。

 

万能薬はない

 もはや、コメだから、原油だから――つまり知名度が高く、社会的関心も高いだろうというような期待感だけで売買人気が集まり、市場が拡大・成長する保証はないのである。それはたとえば、金の上場ひとつをとってみても、当時の通産省の慎重姿勢もあって取引を抑制する方向でスタートしたことを受けて、出足は極めて低調なものだった。しかし、文字通り官民(行政、取引所、業界=取引員)の三位一体による認知向上のための啓蒙・PR、懸命な市場振興策を続けた結果、今日の金先物の定着に至る基礎が形作られたのである。その金ですら全く万能でないというのが現実であるなかで、コメ先物の将来も必ずしも楽観できる状況にないのは当然ではある。

 

 大阪堂島取としても堂島トライアルプロジェクト(DTP)などを始めとして、各種のセミナーも含め、当業者、一般投資家の取引参加へ向けた努力を続けているのは周知の事実だ。しかし、他の取引所や業界団体の振興策はもちろん、個別企業による顧客掘り起こしの取り組みにもかかわらず、商品先物への投機ニーズは停滞からむしろ縮小傾向にすらあるのが実情である。頼みの金が沈めば、業界全体のパイ(規模)も沈むというような脆弱なマーケッ卜では、海外市場との国際競争力うんぬんの前に、国内市場そのものがその存在理由を喪失しかねないという、今度こそ絶対絶命の危機に直面しかねない状況にあるといえよう。

 

役割の自覚を

 こうした市場環境のなかで、たとえば経産省ペースで進められているLNG(液化天然ガス)の上場にしても、コメ先物と似た困難が繰り返される公算が高い。もちろん、コメを本上場するために業界全体が努力することが求められるのは当然ではあるが、果たしてそのための信念や決意といったものは十分であろうか。かつて、業界の悲願であり、積年のテーマとされていたコメ上場が実現したとたん、むしろそれを自らの活力とするだけのエネルギーと能力を失っていたのではないか。それは、金への過度の依存というかたちで業界全体を色づけているかにみえる。

 

 いずれにしても、他ならぬ日本国内にこそ商品先物に対する巨大な潜在ニーズがあることは否定しようのない厳然たる事実である。それが顕在化していないということは、法制、行政不備、無作為はあるとしても、何よりも取引所、業界が当事者としての責任と義務を自覚し、社会全体に可能性と将来性を提供するという本来の役割を果たすことから始めるしかないのではないか。

 

 

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