個人投資家の役割の重さ
東京穀物、関西両商品取引所のコメ先物(試験上場)取引がスタートして3週間が経過した。2012年2月限が発会して限月数もようやく4限月になったというばかりの段階でコメ(米穀)先物取引の成否(本上場へ向けた足取り)を今後(将来性)をうんぬんするのは余りにも早計ではあるが、何よりも日本人の主食であり、純然たる国内(国産)商品であり、大阪・堂島の米会所以来、世界で初の先物取引となることで、72年間の中断にもかかわらず、実に280年もの歴史と伝統という極めて大きく、重い背景を持つ先物商品が、21世紀の日本と日本の経済(産業)構造にいかに定着するのか否かは、ひとり「商取業界」にとどまらず、農林水産業全体、農業政策に象徴される農政、行政から政治のありようそのもの、さらには公正な価格形成という市場メカニズムに対する日本人の認識、認知を計るバロメータという意味までをも含めた、社会的な課題となりうるといったら、いささか大袈裟だろうか。
出来高が急減
にもかかわらず - といわぎるを得ないのが残念なところではあるが、コメ先物はスタート直後から、早くも懸念された蹟きを見せているようである。すでに多くのメディアが指摘しているように、価格(相場)水準はともかく、出来高の低迷が早くも表面化してきた。そもそも、8月8日の取引開始は旧盆を控えるという点で「最悪のタイミング」(業界筋)との懸念はあった。しかし、新穀(新米)の出回りを考えるなら、システム面から当初想定されていた3連休明けとなる「9月20日」は論外ということで、いささか見切り発車的なスタートではあった。
しかし、取引開始以降の売買不振は、盆休みなどという季節要因でないのは明らかである。ちなみに、上場日(8日)以降の1日平均出来高(8月25日現在)は東穀取が1,272枚(14営業日)、関西取が3,111枚(同)となっている。東穀取の渡辺好明社長は当面の1日当たりの目標枚数を「5千枚」 としていたが、これは具体的な根拠に基づくものではなく、せめてこの程度はあって欲しい ー という願望のようなものではあったが、現時点ではこの希望的予測すら難しいというのがマーケットの現状のようである。
本番はこれから
各地の早場米検査で放射性セシウムが検知されていないことから、品不足への懸念が後退するとともに、新潟、福島の豪雨被害にもかかわらず、全国的には平年並みの範囲との見方が強まって、先高期待の買い先行は修正を迫られているようだ。価格の落ち着きとともに出来高減にも拍車がかかってしまった感が強い。関西取は上場初日こそ、御祝儀商いも加わって11,289枚をマークしたものの、8月17日に2千枚を下回って以降は同二22日以外は1千枚台にとどまっている。東穀取に至っては、取引が成立した9日に6,765枚となったものの、その後はほぼ一貫して5百枚をハサんで前後するという推移を余儀なくされている。
コメが最後の大型商品、(日本人にとって)究極の先物商品であるか否かはともかく、業界内には、「予想外の不振だ。もう少し(取引が)できると思ったが…」といった声すら挙がっている。前述したように、現時点でコメ先物の成否をうんぬんしても無意味ではあろうし、これから新米の出回りが本格化し、全限月が揃い、実際の受渡しが行われるようになれば、市場そのものへの関心も高まることは間違いあるまい。しかし、だからといって、8月16日付の日本経済新聞社説が指摘するように、「2年後の本上場を目指すには課題も多い。最大の問題点は、ほとんどが個人の投資家の売買とみられることだ」などという認識では、育つべき市場もその芽をつぶされるのは必至である。この社説は論説委員の手になるものと思われるが、果たして同新聞の現場(一流)記者や商品担当のOBも同意見なのだろうかそれを付度する時間はないが、本当に最大の問題点は個人投資家にあるのだろうか。
最大の課題とは?
同社説では、それが農協の参加を阻害するともしているが、そもそも公正な価格形成には多様な判断、多様な資金が公平な条件に基づいて市場に参加(参入)してくることで初めて成立するのである。コメの最大の生産者であり、それゆえ最大の当事者である農協の参加は望まれるべきことではあるが、当事者だけでは心巾揚が機能しないことは、長い長い長い、国内商品先物⊥巾場の歴史が身をもって証明してきたことはいまさら、指摘するまでもない厳然たる事実である。いまや、主務省(農水、経産省)担当者も、取引所関係者も、流動性の担い手としての個人投資家の存在と役割を無条件で否定する者などいない。不招請勧誘が禁止されようがされまいが、それはまさに、自明の理である。スタート早々の出来高低迷をみれば、いかに個人の参加を促進させるかこそが、市場を機能させる最優先の課題なのではないか。