中期的ビジョンが不可欠
2020年のオリンピック(五輪)は「東京」に決定した。IOC総会直前になってにわかに国際的な関心となった福島第一原発の汚染水漏れ問題は、7月の参院選以前に確認済みだったものを、選挙の争点となることを恐れた政府・東電が公表を遅らせたことがアダとなったものだったが、結局はライバル都市(マドリッド、イスタンブール)の決定力不足と従来の日本と比較すると、プレゼンテーション(アピール)戦略が機能し招致に繋がった。中韓が冷淡な姿勢を取るなか、総会を狙い撃ちしたかのような、韓国による東日本八県の水産物輸入禁止措置も、策に溺れた格好となった印象ではある。
再生の原動力にも
さて、東京五輪が56年ぶりに開催される。同じ都市で二度開催されるのは欧米以外では例がないうえ、1964年の東京五輪がその後の日本経済の成長と発展をもたらしたのは周知の通り。五輪再開催が東日本大震災の復興と”失われたナン十年”とかで停滞と不振に陥っている日本全体を再活性化する契機となる公算は大きい。その成果はともかく、少なくとも「七年後」という具体的目標が設定されたことで、日本人にとっての自信やプライドを取り戻すための中・短期「ビジョン」とはなり得るであろう。
翻って考えるなら、前回の東京五輪に前後して、我が商取業界では当時、「関門筋」と呼ばれた業者が大挙して東京に進出。それまでの地場筋を主役とする当業者や仕手などの玄人(プロ)相場師の市場を、一般委託者(個人投資家)を対象とする営業手法によって一気に大衆化。その後の国内商品先物市場の性格を決定的に形作る時代の出発点となったのである。そのことが結果的には無差別的な勧誘や強引な営業行為による委託者紛議などのトラブルが多発。社会との軋榛を生んで規制行政(消極・不拡大路線)を招き、最終的には商品取引所法下での再勧誘禁止、さらには現商品先物取引法による不招請勧誘の禁止に至る過剰規制に至っている。前回の東京五輪から49年。同五輪と商品先物の跛行的な大衆化からほぼ半世紀が経過した。次の五輪が日本再興の原動力となるなら、国内商品先物にとっても市場再生の起爆剤となっても良いハズである。
歴史は繰り返す?
歴史は繰り返す。最初は悲劇として、次は喜劇として――という。これは皮肉家によるアイロニーであろうが、全く同じ繰り返しはないのが真実である。商品先物の最初の大衆化(過度な一般委託者への依存)が負の遺産を招いたのであるとしたら、次の機会こそ、市場と業界の真のチャンスとしなければなるまい。8月の商品先物出来高の一日平均は9万6942枚と、昨年8月以来丸一年ぶり10万枚の大台を下回った。東京工業品取引所の一日平均が9万5792枚と、昨年10月以来の10万枚割れとなったことが直接の要因ではあるが、いずれにしても足元の流動性が一段と低下しているのは明らかである。最大の商品である金(標準、ミニ)の出来高が停滞している現状では、市場全体がにわかに活発化するという展望は持ち得ないのが現実であるが、五輪開催に伴う経済波及効果は直接効果で3兆円、関連を含めるなら150兆円という試算もある。これと商品先物がただちにリンクするわけではないが、経済成長による資産運用の拡大を考えれば、当然のこととして市場の後押しをすることは確実であろう。
とりわけ国内の証券市場の上昇などに伴う資産効果を考慮するなら、総需要拡大を背景とした商品市況全般の高騰は必至であり、商品先物を巡る投資環境の改善も期待できるハズである。目先的にはともかく、前述したように、具体的で、長過ぎない(中期的な)目標=ビジョンが何事にも必要である。とりわけ、資産運用をこそ最大の機能と役割とするに至った現在の国内商品先物市場にとって、到達可能な目に見える将来ビジョンが必要不可欠である。
宗旨替えの議論を
産業構造審議会の商品先物取引分科会を改組した商品先物取引小委員会が10月にスタートする。これは分科会の下部組織という位置付けとなるが、これまでの分科会が行政の追認機関に過ぎなかったことからすれば、分科会も小委員会もその実質に大差はない。問題はどれだけ現実に即した議論と、それに基づいた市場の活用策を提起できるのかである。これまでの分科会での議論のように、市場の十全な機能・役割の発揮ではなく、商品先物の必要性を問うような神話論争や業者規制に偏ったテーマが繰り返されるようなら、到底、国内市場の合理的で過不足のない社会への定着や産業インフラに直結するような成果を期待することは不可能であろう。
小委員会では電力先物や不招請勧誘禁止の見直しなども議題となることが見込まれている。個別の検討対象はともかく、少なくとも商品先物の存在価値(理由)を認めることを最低限の意志一致のもと、今度こそ社会がそれをいかに活用するかを前提とした議論が交わされることを望みたいものである。