原則崩壊の法制・ルール
国内の商品先物市場と取引業者(旧商品取引員)は歯止めなき市場衰退と業界そのものの消滅への道を確実に辿っているかにみえる。その衰退と消滅にブレーキをかけ、下げ止まりからすみやかに反転し、抜本的な拡大・発展に向かうための手段も方策も見い出せないまま、混迷の度合いを深めるとともに、徒らに時間を浪費しているかにみえる。今年1月に完全施行された商品先物取引法が、国内の市場(マーケット)も当業者や投資家を含めた取引参加者にとって、旧法(商品取引所法)時代よりもメリット(利益)や利便性(使い勝手の良さ)を高めたという明白な事実はない。ましてや、2005年以降の勧誘規制強化によって痛めつけられてきた取引員による受託ビジネスは、「商品先物取引業者」という名義は与えられたものの、その実態は市場の担い手からの転落を強いられた挙句、企業としての命脈すら断たれかねない事態に追い込まれている。
先物の基本に戻れ
いまさら、市場のありさまのアレコレを描写したところでほとんど意味はないというのが実感ではあるが、それでも商品先物取引というレッキとした経済行為とそれに基づく業(ビジネス)が行政(官僚)と一部法曹によって、「商品デリバティブ」という定義不明の〝化け物″に無原則に拡大適用されたことで、商品先物を巡るすべての法制、ルール、仕組みが完全に壊れてしまった。しかも、行政=主務省も取引所も業界団体も、原則が壊れていることを理解されないまま、自らに関連する部分だけの法的整合性だけに拘泥することで事足りるとする姿勢に終始することで、市場全体の問題の把握や問題解決策を打ち出すことができないでいる。そのことが、商品先物市場そのものの活力を奪い、業界としての実体を喪失させつつあるといっても過言ではあるまい。
確かに、米国でもEUでも、先物市場全般に対する規制強化策が検討されている。しかし、それは飽くまでも、行き過ぎたマネーゲームや肥大化した金融資本主義を正常化しようというものであり、マーケット自体を潰そうとしているわけではない。しかし、日本の商品先物に対する規制は、そもそも未成熟な規模でしかない市場をかろうじて支えてきた専業取引員を委託者保護の徹底によって市場どころか、社会そのものから排除することで、マーケットそのものが消滅することも止むなしとする代物であったことは明らかである。
求められる覚悟
それは、他ならぬ現在の国内市場が明白に示している。金の国際市況が空前の高値をつけようが、業界の悲願であり、72年ぶりの復活ということで、あれほどの社会的関心を集めた(かにみえた)「コメ(試験)上場」も、実態的には、ほとんどインパクトを与えていないことに如実に示されている。コメ先物は惨状を通り越して、いまや上場適格性そのものに疑問が生じる状況に陥っている。金の〝特需″により上期(4-9月)の目標枚数(一日当たり13万枚)を達成した東京工業品取引所も、10月入り以降は12万枚弱(10月24日現在)と、下期の目標である「15万枚」を大きく下回っているのが実状である。
海外からの市場参加を図ろうとも、あるいはプロップハウスなど自己資本で取引するディーリング業者や機関投資家といったプロに期待することで市場拡大しようとも、それらは所詮、〝願望″に過ぎない。「こうなったらいいな」というのは経営ではない。企業戦略でもない。「かくあるべし」という目的を設定したら、その実現のために何をなすべきかを確定し、それに向けて自らが持つすべての能力を動員し、集中しなければ、目的の実現などあり得ないのは必定である。果たして東工取や、東京穀物、関西両商品取引所に、そうした気概や覚悟はあるのだろうか。
突然の交代劇
いま、業界は自らの名称を見失っている。かつてなら 「商品取引所業界」、「取引員業界」と呼ばれ、総じて商取業界と自称すれば事足りたものが、商品先物取引法下での商品先物取引業者という名称は、官製というには余りにも座りの悪いネーミングというしかない。こうしたをか、旧取引員の業界団体である日本商品先物振興協会のトップ(会長)が突然、交代した。10月21日の緊急理事会で加藤雅一会長が退任。新会長には岡地和道岡地社長が選任された。同時に、副会長には車田直昭ドットコモディティ会長が就任した。車田氏は多々良實夫氏辞任に伴い市場戦略統合委員会の委員長を兼務する。この突然のトップ交代劇は加藤前会長が自らいうごとく、任期を8ヶ月残した「イレギュラーなもの」である。その背景は不明であるが、「新法の定着やコメ上場の実現で一定のメド」という加藤氏の説明だけではないかもしれない。とはいえ、存亡の岐路にある業界にあって、新体制の手腕が闘われることになる。