ニーズは拡大の一途

事前の未来築く覚悟を

 東京工業品取引所の金先限は周知の通り1月中・下旬にかけて数度にわたって上場来高値を更新した。国際指標であるニューヨーク金(期近)が1トロイオンス=1,700ドルに接近する一方、為替市場でも円安が進行したためである。ただし肝心のニューヨーク金が同下旬に入ると軟化傾向を強めてきたことなどから、国内市場の上値もやや重くなってきたようだ。アベノミクス(安倍政権による金融緩和、デフレ脱却など一連の経済再生策)に伴う円安一本が支援材料というだけに、その反面であるドル高で国際市況が伸び悩めば円建てでの上昇にも応分の限界があるのは当然ではあるが、それでもマーケットの底流には、かつての国内最高値6,495円(1980年1月=地金商店頭価格)の再現を望む心理があるのは事実だろう。

チャンスは拡大

 金はさておき、自民・公明両党は1月24日、2013年度の税制改正大綱を発表。このなかで、商品先物を含む金融派生商品(デリバティブ)取引と現物株式の損益通算について検討事項に盛り込むことを明記した。この結果、同通算が14年度中にも実現する公算が高まってきた。商品先物と株式の損益通算は、国内市場への取引参加者の増大とそれを背景とする市場流動性拡大の切り札のひとつとして、業界がこれまで一貫してその実現を要望してきた経緯がある。また、現時点では東京・大阪両証券取引所の経営統合による日本取引所グループ(JPX)の発足にとどまっている総合取引所に商品取引所が参加するためのステップともみなされているだけに、こうした税制改正の行方はやはり要注目ということにはなる。

 ただ、東工取の江崎社長が指摘するように、税制だけが総合取引実現の絶対条件ではない。むしろ問題は、国内の商品先物市場のありようそのものやマーケット・ボリューム自体をいかにするかの方が先決であるのはいうまでもない。現状のまま、既存のJPXに合流したとしても、商品先物分野は圧倒的なマーケット、ビジネス両面の格差(落差?)のなかで埋没するであろうし、それ以前に、証券サイドの方から果たしてマトモに(合流の)相手にされない可能性が大きいというのが実態なのではないだろうか。実際、JPXの経営トップの聞から漏れてくるのは、既存の商品取引所の合流(子会社化)よりも、新規の商品先物指数などの上場による〝総合化″にウエートが置かれているのは明らかである。

突破口は金だが

 確かに今年に入ってから、商品先物の売買が活発化しているのは事実ではある。上場来高値の連続更新などに象徴される金はもちろん、金との逆ザヤを解消した白金も加えて、1月の一日平均出来高は15万枚がらみとなっており、前月比3割前後の増加を示している。このままのペースで推移すれば270万枚台に乗ることになり、2011年9ー10月以来の水準に戻る公算もあり得る展開となっている。もっとも、この程度のことで一喜一憂していても致仕方ない。それほどまでに、昨年の国内市場の落ち込み(縮小)は深刻だった筈なのに、業界に一向に危機感なり、現状打破への切実な思いや決意といったものが具体的な姿となって現れてこないのはいったい何故なのだろうか。もはや、絶望を通り越して諦めの境地なのか。それとも、本当は起死回生の秘策があるのだが、安易にそれが明らかになるとよってたかって適当に弄はれて、折角の秘策が台無しになることを恐れて出し惜しみしているのか…。

 正直なところ、後者の可能性はほとんどないのだろうから、諦め-というよりは現状に甘んじるしかないというのが実相なのではないか。国内市場が縮小を余儀なくされるなかで、経営破たんや受託業務の廃止、撤退が相次いだ結果、商品先物取引業者は58社(昨年末現在)というなかで、旧専業取引員というべき業者は30社に満たないところまで業界は疲弊してしまった。これには自らは受託業務は行わないという取次ぎを含めてのものである。その一方で、商品先物市場とそのビジネスは世界的にみれば、今後とも将来にわたって拡大と成長が約束されたも同然の存在である。

時は熟した!

 エネルギーにせよ食糧にせよ、需要拡大と価格(市況)高騰は必至である。天候や国際情勢の変動によって乱高下するとしたら、そのこと自体がマーケットの機能と役割の重要性と存在価値となり、それに関連するビジネスがさらに活性化するという好循環が確実視されている。つまり、先物システムの活用によるヘッジや資産運用に対する内外のニーズはほとんど無限大ともいうべき可能性に溢れているのである。そうした市場や取引の担い手こそが、他ならぬ我が業界である筈なのに、この停滞と疲弊はいったい何に起因しているのであろうか。かつての営業至上主義、利益至上主義に基づく無差別勧誘が社会との軌轢を生み、業界と社会に決定的な亀裂を招いた。それが徹底的な行為規制を招いた挙句、世界の大勢と逆行する国内市場と業界のありように繁った。しかし、もはやそうした状況は完全に払拭されなければならない。時は熟したというべきではないだろうか。