可能性信じて全力を(5月15日号誌面)

最も有望な市場ビジネス

結局、事前の予想通り、4月の3取引所総出来高は196万2478枚と、200万枚の大台を下回った。少なくとも過去20年間で月間出来高枚数が200万枚割り込んだケースはない。この間の最低記録が2010年8月の210万6070枚だから、先月は空前の薄商いだったことになる。まさに由々しき事態といって良いハズだが、取引所はもちろん業界関係者からこれといった特別な反応がないのはナゼなのか。

ここへきて、にわかに市場振興や活性化への言及が日立っていた主務省―とりわけ経産省あたりも、スッカリ音無しの構えとなっている。ゴールデン・ウィーク明けで、頭もカラダも目覚めてないということかもしれないが、雪山登山における低体温症ではないが、現状のような極端な薄商い(超低流動性)が続けば、文字通り市場(マーケット)も業界も、完全な死に体(機能不全)に陥るのは必至である。

最大期の8分の1

単月の出来高水準をうんぬんしても無意味との考えにも一理はあるだろうが、単純比較だけでいえば、過去最高だった2004年3月の1571万7664枚からは8分の1の規模にまで縮小したことになる。年度ベースでみると最盛期のほぼ5分の1だが、外務員数でいうならピーク時の7分の1となっているのはいかにも暗示的ではある。いずれにしても、危機的状況、崩壊寸前という悲鳴の一方で、スッカリ定着してしまったかにみえる過剰規制のもとで、かつてあれほどどん欲なまでにエネルギーと活・刀に満ちていた業界と業界人の姿は、全く消え去ったようである。

勿論、あれこそ、無差別勧誘による絨毯爆撃がごとき焦土化作戦を全くの(業界の)自己都合だので社会の認知や共感を得ることなく、真の大衆化や市民権のないままに作り上げられた砂上の楼閣であり、偽りの繁栄だったことは否定のできない事実である。行き過ぎた営業行為が結果として過剰規制を招いたことは不可逆の宿命だったとしても、業界はすでにその咎は十二分に果たしたのではないか。

それはかつての商品取引員が急減し、取引員営業の諸悪の根源とさえいわれた外務員の営業姿勢も、度重なる法改正と規制強化によって、前述した登録数と同様に一変したのは周知の通りである。商品先物取引法施行に伴う不招請勧誘禁止の導入も含めて、廃業しろというならともかく、これ以上、業界に何をせよというところまで来ているのではないか。

行政のゆらぎ?

現在開催中の産構審商品先物取引分科会の議論の行方はともかく、役人(官僚)というものは、現にあるものを終えんさせる責任を自ら負うということは決してしない。その意味でいえば、少なくとも現行の法体系や国内の商品先物市場の大枠を維持しようとすることは間違いない。それは総合取引所や行政規制の再編の有無とは全く別の問題ということになる。しかし、金融庁を除いた先物行政を担う経済産業省と農林水産省の行政スタンスは、昨年7、9月に相次いで実施された両省の組織再編で微妙に変化したことは明らかである。

経産省ではそれまでの商務情報政策局の商務課から商務流通グループ商取引・消費経済政策課に、農水省は総合食料局商品取引監理官から食料産業局企画課商品取引室に、商品先物取引の直接担当部署がそれぞれ変更された。しかも、経産省ではたとえば原子力問題などを扱う安全・安心政策のなかに組み込まれ、農林水産業から関連分野を含めた権限拡大のなかに組み入れようとの意図がみられるのである。結局、省益最優先であり、本来的な市場のありようや機能発揮のためにいかに行政責任を果たすかの視点よりも、ここにも自らの都合(利益)第一主義が透けてみえるといったら深読み過ぎるだろうか。

全ては業界次第

ともかく、もはや業界の表退、市場の疲弊に歯止めをかけるための方策を待ったなしで発動すべき段階にきていることはいうまでもない。特異な事情のある関西商品取引所は別にしても、東京穀物商品取引所はもちろん、東京工業品取引所ですら、ここへきて商いが急速に落ち込んできている。3月までは一日平均出来高がかろうじて10万枚を上回っていたが、4月は9万2493枚に急減。これまで国内市場のけん引役だった金が国際市況の軟化を背景にカゲリをみせていることもあり、5月入り以降も10万枚を越えられない状況が続いている。東穀取に至ってはこのところ5千枚が壁というテイタラクであり、農産物市場の移管問題の行方も含め、早急な経営方針の明確化と提示が求められよう。

商取業界に過去の栄光がないのだとしたら、その分、全く新しい輝ける未来を作り上げる役割と義務を現在の業界人は負っているのではないか。停滞と閉塞感が蔓延する日本において、可能性と将来性という意味で商品先物ほど有望な市場ビジネスはないのではないか。その幸運を生かすも殺すも業界(人)次第である。