業界の自立こそ最大の課題(新年特別号・紙面より)

商品先物の社会的浸透実現で

 新年明けましておめでとうございます。昨年は3月11日に発生した東日本大震災と東京電力福島原発事故に伴う未曾有の複合災害により、日本は文字通り、有史以来ともいうべき国難に直面することとなった。死者・行方不明者合ゎせて2万人に迫るという犠牲は、巨大津波の破壊の甚大さを物語るとともに、本来なら災害復旧が復興というエネルギーとなるハズのものが、原発事故によるかつてない放射能汚染が、数10年というオーダーで日本の再生を阻害しつづける桎梏(しっこく)を余儀なくされている。大震災と我が商取業界の現状を同列に扱うことはできないが、再生への処方箋が官による過剰規制によって容易に描き得ないという意味では、大震災を前にして立ち疎む、日本の政治、経済、社会の婆と無縁とはいえまい…。

話題満載の旧年

 業界にとっての昨年はむしろ、エポック・メーキングともいうべき話題に富んだ一年であった。1月1日には商品取引所法の改正による「商品先物取引法」が施行された。旧商取法が「取引所法」という名称が示す通り、取引所に上場された商品を対象とする法制だったのに対し、新法は海外商品や取引所外取引である商品版CFDなどの店頭(OTC)取引までを法規制することで、行政は商品先物取引をデリバティブ取引に包含。これまでの商取行政の〝失政”を新法への移行を名目に糊塗してしまった。

 この結果、当業者主義という原則にもかかわらず、実質的に国内の商品先物市場を機能させてきた商品取引員(とりわけ、専業取引員)が一般委託者(個人投資家)を取引に導入することで流動性を確保し、両者が市場の担い手となることで当業者やプロが参加するに足るマーケットとなり得るという構図が崩壊してしまった。すでに再勧誘禁止で旧来の収益モデル(ビジネス・モデル)が破たんし、廃業や撤退が相次いで業としての衰退が加速していた取引員企業は、自らの名称さえも「商品先物取引業者」に変更されたうえに、不招請勧誘の禁止が盛り込まれた新法によって、実質的に手足をもがれたも同然の事態となってしまった。現在、商品先物取引業者は59社(日本商品先物取引協会の会員数)ということになっているが、市場の形成と無関係な業者をカウントすることの不自然さは否定できないところではある。

流動性低下の真因

 流動性の低下が行為規制の強化と行き過ぎた委託者保護によってもたらされたことはいうまでもないが、それでも商品先物が世界的に拡大・発展を続けているのは紛れもない事実である。周知の通り、昨年9月には金の国際市況(ニューヨーク金・期近)が1トロイオンス=1923・7ドルという驚異的な高値をマークした。これを受けて、東京工業品取引所の金先限も4754円という上場来高値を示現した。こうした金の大相場を受けて、出来高不振に喘いできた国内市場にもようやく薄日が差す格好で、昨年の年間出来高は1~11月段階で前年を上回り、8年ぶりに増加に転じることとなった。もっとも、ここ数年間の落ち込みが余りにも大きく、これで出来高低迷に歯止めがかかったとして楽観するムードはほとんどないのが実情である。

 実際に、商品先物への投機ニーズのバロメーターである総取組高は昨年7月には46万枚台に乗せる場面はあったものの、金が上場来高値を更新した同9月でさえ44万枚にとどまり、昨年末にかけてはふたたび40万枚を下回る場面も出てきた。これは金の下落といった要素はあるにしても、結局は商品先物取引が日本社会のなかに浸透しておらず、それゆえ大衆化することなく、市民権を得ていないことによる偏見や誤解がいぜんとして払拭されていないことの証左というべきであろう。委託者保護を名目として過剰規制によって商品取引員が強制排除され、その結果として表面的な委託者紛議(トラブル)は激減したが、マーケットはむしろ潰滅的なダメージの只中にあるといえよう。

再生への処方箋

 それは、実に72年ぶりに復活したコメ先物に如実に表れている。東京穀物、関西両商品取引所がコメの試験上場を申請したのは昨年の3月8日であった。その3日後に東日本大震災が発生したのは全くの偶然に過ぎないが、業界(人)にとっての積年の悲願であり、業(ビジネス)を継続するための意欲の源泉であり、自らの正当性の根拠ですらあったコメ先物の再上場が「この年」であったということには、やはりある種の因縁を感じずにはいられない。7月1日の農林水産省による試験上場の認可と、それに引き続いた東穀取の東工取への市場統合の撤回は、農水省自身の省益という思惑が見えすぎて、コメ先物復活という歴史的イベントを陳腐化させてしまった。

 コメ先物が日本人にとって主食であるという以上に持つ象徴的な商品特性によって、業界再生の起爆剤となるとの事前の予測(希望的観測?)は完全に裏切られたが、JA(全中)の懸念とは正反対に、コメ(米穀)もまた、現代日本社会においてはたんなるひとつの商品でしかなかったことを意味しているのかもしれない。東京・大阪両証券取引所が統合方針を決定するなかで、商取サイドはというと、総合取引所化への立ち遅れが表面化しているが、東工取の一日平均出来高ですら経営目標を下回っている現状を考えるなら、むしろ商品先物そのものの自立に向け、業界挙げて取り組むことこそが先決ではないか。

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